Te-Sera-Sera

はじめまして。てーはやといいます。このブログは国際協力業界で働きながら感じたことや、疑問に感じたことなど、国際協力に関するトピックを中心にしながら、様々な社会問題についても考えてもらうきっかけになればと思い始めました。ちなみにブログのTe-Sera-Seraという意味は、私のあだ名である「てーはや(Te-haya)」のTeと、「何とかなるさ」という意味の「Que Sera Sera」という意味を合わせたのが由来です。

今日が生まれてから10000日目だという話。

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5月16日は旅行の日。由来は、松尾芭蕉が「奥の細道」にこの日から旅立ったことを記念し、日本ペンクラブが提唱したそうだ(総務省統計局より)。

 

こんにちは。

てーはやです。

前回からアフリカ各国のコロナ対策について日本語でまとめようと思い、お次の国「アンゴラ」を調べていたのです

 

が、

 

今日は!!

誕生してから!!

ちょうど10000日目の日だそうです!! 

おめでとう自分!!良く生きた自分!!

(…と滅多なことが無いと誕生日も祝われないのでせめて自分だけでも言ってみるw)

 

という事で今回は勝手に色々と振り返ってみる回なので、もし興味があればお読みください(笑)

 

 

10000日はいつ来る?

10000日というのがいつ来るのかといいますと、閏年も含むともしかしたら多少前後するのかもしれないのですが、大体27歳4か月と18日だそうです。そういやつい先月も指原莉乃(92年11月21日)さんや横山由依さん(92年12月8日)がSNSで10000日目を報告、というのをネットニュースで見て、やっぱり特別な日なんだな、という事を実感しました。

指原莉乃が「生まれてから10000日」を報告 幼少期の写真にファン「もう既に面影」「天使」(ENCOUNT) - Yahoo!ニュース

横山由依、生誕10000日で幼少期の写真公開 ファン「可愛い」「面影ある」(MusicVoice) - Yahoo!ニュース

 

なので!まだ27歳になっていない皆さん!

是非この大切な日をしっかり覚えておきましょう!

「自分の10000日目の日なんか全然わからへん…。」

という方、ご安心を。

 

「一般社団法人 10000日記念日」という組織(こんな組織があるなんてこんなことでもしないと知らなかった…笑)のトップページから自分の誕生日を入力すると、自分の記念日が分かるので、分からない方は是非調べてみましょう。

www.10000days.net

 (ちなみに10000日を過ぎてしまった方、20000日まで待てない!という方は、11111日という日(30歳5か月と3日)もありますよ。笑)

気付いたら過ぎてたちょうどの日①ちょうど1000日

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おそらく1歳くらいの時の写真。


生まれて1000日目というのはだいたい2歳8か月と27日だそうで、私の場合は1995年9月25日にあたります。まあ3歳になる年の記憶は全然ないですよね(笑)そういやよく聞かされていたのは私自身が言語をしゃべる時期が非常に遅く、3歳くらいの時に喋り始めた、ということです。なのでこの時にはまだ喋れていないのでしょうか。

 

このHPによると、90%までの人が、1歳5か月までに喋り始めるという事です。となると、相当なものなんですね。。。

www.shichida.co.jp

また、以前自分がブログに書いたのですが

te-haya.hateblo.jp

1995年と言いますと、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件が起こった年でもあるんですね。。。よく生き(以下略

 

ちなみに、この日に起きたニュースを調べてみると

アメリカ兵の少女暴行事件への抗議集会後、デモ行進

1995年9月、沖縄県警捜査一課と石川署は、小学生女児に暴行したとして、同県にある米軍基地所属の米兵3人について逮捕監禁と婦女暴行容疑の逮捕状を取り、米軍側に身柄引き渡しを要求した。
 3人は車で基地外に遊びに出掛けた際に、沖縄本島北部の住宅街で買い物帰りの小学生を発見。無理やり車に押し込み、ガムテープで目や口をふさぎ、手足をしばるなどして、約1・5キロ離れた場所まで連れて行き、車内で乱暴した疑い。

沖縄の悲劇~米軍関係者による事件 写真特集:時事ドットコム

・通常兵器条約再検討会議がこの日から10月13日まで、ウィーンで開催された。

https://www.unic.or.jp/files/mine.pdf

 

気付いたら過ぎてたちょうどの日②ちょうど5000日

生まれて5000日目というのはだいたい13歳8か月と9日だそうで、私の場合は2006年9月7日にあたります。13歳というと…中1でしょうか?14歳になる年なので中2ですかね。このころの自分はと言いますとまさに暗黒期(笑)を迎えていました。今までの人生の中で恐らく最初に迎えたどん底だと思います。

 

前年に放送されていた「野ブタをプロデュース。」の影響でしょうか、ブレザーにチョークで落書きされたり、上履きの中に画鋲を入れられたり、ある人から突然腕を殴られたり…。ま、やった人はそんな事覚えてないでしょうけどね。

 

この日に起きたニュースを調べてみると

・社会人野球 シダックス活動停止へ 2006年限りで

野村克也が社会人野球で監督を務め、就任翌年には準優勝を果たしたシダックスが、2006年度のシーズンを持って社会人野球チームを廃部することをこの日に決定したそうです。このチームのOBとしては、元日ハムの武田勝投手や、元ジャイアンツの野間口投手など、有名選手を輩出しました。

 

台風12号岩手県北部沿岸に被害

8月27日に発生した台風12号(名称 イオケ)。この台風12号は日本には北上せず、関東地方に接近したのち東北方面へ北上していきましたが、熱帯低気圧から温帯低気圧に変わった7日に、岩手県北部沿岸や、北海道南部に大きな被害をもたらしました。

 

次の10000日への抱負

と、いうことでその日のニュースと、その当時のエピソードを色々と振り返ってきたわけですが、生まれてから今日までを振り返って自分に点数をつけるならば

 

60点

 

という所でしょうか。40点引いた理由としては、今まで自分がしたかったことを色々理由(言い訳)をつけてやってこなかったことでしょうか。特にお金に関する理由が多いかもしれません。したかったことの一つ一つというのはとても小さいものから大きなものまであり、小さいことは時に年齢によって解決されるときもありました。しかしながら「お金を稼ぐ」努力をしてこず、比較的時間にゆとりのあった大学生活は何をしてたんだろう、とふと思う時があるのです。

 

20代後半になってから色んな人と会うようになって、「やっぱり自分の考えは甘いな」と痛感することが多々あるのです。

次の54歳までは後悔しないよう、

 

「動き続けて、学び続けて、変わり続ける」

 

ことに全力をかけていきたいと思います。

(なんか大阪メトロのキャッチコピーみたいになってしまったw)

 

この10000日の間、嬉しいこと、楽しいこと、つらいこと、しんどいこと、様々経験してきました。ブラック企業で働いてた時は「消えたら楽になるかな」とさえ思うときもありました。ただ、「国際協力の道で働く」という夢を持ち、その夢を実現させることが出来ました。そして、これからようやく海外の舞台で働ける!!と思った矢先に

 

コロナウイルスがこの世界を一変させました。

本当に未来って何が起こるか分からないですね。

 

もともと斜陽だと言われたこの業界もコロナのせいでそれに拍車がかかるかもしれません。ポストコロナ、ビヨンドコロナと今言われていますが、このポストコロナで今までの価値観ががらりと変わる可能性もあります。特にこれからの時代、「開発」の分野で見てみると、これからは「援助」ではなく「投資」の時代になる、と個人的に思うのです。もちろん必要な援助もあると思います。ただしウェイトがだんだん「投資」になると思うのです。

 

その時その時で柔軟に変わり続けないと、「今を生きる」ことが難しくなってくる時代に突入したのだな、と感じたためです。あ、あと、シンプルに頭の柔軟性が無いせいで「老害」と言われたくないっていうこともあります(笑)

 

次のちょうどの日は…?

次は20000日。ちなみに20000日目は54歳9か月と4日だそうですよ。

今から20000日目にカレンダーにメモしとくのもいいかもしれませんね。

 

54歳9か月かぁ。。。生きてるのかな(笑)

よく会う人にはたまにこんな話をしたりするのですが、私の手の生命線が異常に短いという事もあって、自分は40代半ばで死ぬんじゃないかと勝手に思っています(笑)

 

もしこの記念日を迎えていた場合は上の写真みたく、笑顔でかっこいい54歳になっていたいものですね。

 

という事で今日はこの辺で。

各国のコロナ対策が気になったから調べてみた話。①アルジェリア編

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どうもこんにちは。

てーはやです。

 

今日からGWに入りましたが今日は暑かったですね。

もう夏もすぐそこまで近づいているような感じなので半袖を解禁しました。

 

さて、4月30日に参議院補正予算案が成立し、昨日から特別定額給付金の申込が始まりましたね。マイナポータル自分も触りましたが、電子署名のパスワードを忘れて昨日は絶望にかられました。(笑)

 

このようにコロナの影響で様々な国で様々な影響が出ている中、どのような政策をとっているのかが気になりました。ヨーロッパやアメリカの話は、感染者数や死者数の多さも相まって連日報道されていますが、その他の国ではどうなっているのか、というものが日本語ではあまり見つからないなあ、ということで各国のコロナ対策を見ていければと思います。特に、私が興味を持っているアフリカ大陸の状況を一つのシリーズとして更新していければと思います。

 

前提として、私はまだアフリカ大陸への渡航経験がないので、肌感覚や各国に友人がいるわけではありません。ですので、各国際機関や各当局の資料、また各国の放送局や新聞等のメディアの資料を参考にしていきます。

 

また、日本人の方で当ブログを拝見され、情報が間違っている、とかこの情報を追加したい、ということがございましたら、お気軽にコメントして頂ければと思います。

 

と、いうことでまず一か国目。50音順で行きたいと思いますので、

まずはアルジェリアからです。

 

 

アルジェリアの基礎情報

面積 238万平方キロメートル(内,砂漠地帯約200万平方キロメートル)(アフリカ第1位)

人口 4,220万人(2018年1月,アルジェリア国家統計局)

首都 アルジェ

民族・人種 アラブ人(80%),ベルベル人(19%),その他(1%)

言語 アラビア語(国語,公用語

   ベルベル語(国語,公用語

   フランス語(国民の間で広く用いられている)

宗教 イスラム教(スンニ派

(外務省HPより)

 

アルジェリアの新型コロナの現況

 (2020年5月2日現在)

感染者数 4,154名

死者数 453名

退院者数 1,821名

 

4月3日に185名、17日に150名、29日に199名、30日に158名…と、比較的多い日を除くと、4月に入ってから約100名~150名で感染者が推移しています。

 

アルジェリアの新型コロナの対策

アルジェリアでは2月の初期より封じ込め政策として検疫を実施したり、フライトの欠航を実施したりしてきました。しかしながら2月25日に保健大臣が最初の感染者を発表して以降、当初は一日当たり一桁の感染者数だったにも関わらず、3月の下旬以降感染者数が増加していきました。

 

アルジェリアはこのコロナではもう一つ影響を受けています。

それは「原油価格の下落」です。アルジェリアの主要産業は石油・天然ガス関連事業なのですが、新型コロナの影響から石油価格が低迷し(4月21日にはNYの先物取引原油価格が始めて0ドルを下回り、終値は-37.63ドルと、原油を買えばお金がもらえるというようなカオスな状況となりましたね。。。)経済状況が悪化する可能性を受け、大統領が以下のことを指示しました。

 

・公務員の給与を除き、行政機関に関わる全ての支出の30%を削減。

・Supplementary finance law(補足金融法?)の制定(準備)

―個人及び企業の所得税の申告及び納付の延期(大企業を除く)

―公的契約の遅れに対する罰金の一時停止や、契約期限に柔軟性を持たせる

―通常6,000ディナール支払われる「ラマダン手当」を10,000ディナールに増額

 

また4月1日には、コロナの感染拡大を防ぐために約5,000人の受刑者を刑務所から釈放することを大統領が発表しました。

 

アルジェリアは3月24日からロックダウン(都市封鎖)を実施し、学校や店舗の休業、イベントやデモの中止、半分の公務員と民間の労働者は強制的に休暇を取り、アルジェを含む数都市では外出制限が実施されています。このロックダウンは5月14日まで延期されています。

 

終わりに

アルジェリアの補足金融法(正式名称ご存知でしたら教えて下さい!)での税金の支払い等で大企業が除かれる、という点が日本と異なっていて面白いと感じました。また、アルジェリアイスラム文化圏という事もあってラマダンへのコロナ対策について興味深いと感じました。「ラマダン手当」というものがあることを初めて知った。。。(笑)

 

ということで次は「アンゴラ」の様子をまとめたいと思います~。

それでは今日はこの辺で。

 

参考サイト

JETRO「ビジネス短信」

https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/04/3ce3a30c8179a6cb.html

IMF「Policy Responds to COVID-19」

https://www.imf.org/en/Topics/imf-and-covid19/Policy-Responses-to-COVID-19

BBC News "Algeria"

https://www.bbc.com/news/topics/cp7r8vglgyet/algeria

 

在宅勤務はすごいなあという話(近況含む)。

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どうもこんにちは。

ご無沙汰しています。

てーはやです。

 

今日で令和が始まってちょうど一年ですね。

一年前は誰がこんな状況になることを想像していたのでしょうか…!

 

2月末に強み発掘セミナーを体験してから更新が滞っていました…(笑)

見つけてもらった強みの一つに「まとめたり発信する力」という事を見つけてもらったのにそれを自ら潰してしまっていました…(;'∀')また定期的に更新していこうと思いますので、お暇なときには覗いて頂ければと思います。

 

さて、緊急事態宣言が発令されてから3週間ちょっと。そして弊社も休業してから今日でちょうど3週間となります。この3週間を含んだ約2ヶ月間で色々なことが自分にも、周りにもあったと思いますのでざっと箇条書きでまとめると

 

3月

上旬 ・任されている案件がようやく契約開始。現地調査のために航空券を購入するも、チケットを購入した翌日に渡航自粛措置が発令。当初中旬までの措置だったが、新型コロナの収束が見えず、「当面の間」と期間を設けない措置に延長。

   ・上記措置を当初受け入れることが出来ず、その日にやけ酒。(笑)

中旬 ・上記措置の為に出張がなくなったことから、自分の念願であった実家から出るために家探し。

 

4月

・4日 上旬にようやく実家を出るために引越。

・7日 緊急事態宣言発令。弊社も10日より在宅勤務に移行。

 

というような2か月でした。3月中は仕事を続けながら引越準備をしていたため時間が取れませんでした。そして4月はなぜ更新できていなかったのかと言いますと、率直に言って色んなことに対してやる気が起きなかった、というのが一番の理由だと思います…。

 

在宅が始まった当初は、在宅になったことで少し働き方に余裕ができ、色々なことができる!と思って色んなことにチャレンジ(例えばフランス語の勉強をしたり、会社で借りたITに関する勉強や自宅近くのランニング等)をしていました。

 

また、自分は大学受験の際に宅浪(予備校に通わず、自宅で大学受験の勉強を続けること)をしていた経験もあったから、「あのセンター試験5教科7科目(※当時は「理科基礎」科目がなく、「理科Ⅰ、Ⅱ」と言っていた世界でした)を経験しているから1か月の在宅なんか余裕で色々とできるやろう」と、思っていました。

 

しかしながら、自分の中で「家はくつろぐもの」という認識がどうしても取れなくて、朝起きるのが遅かったり、昼寝をしたり、TVerでドラマを見てたり…と、中々仕事のON/OFFを切り替えるのが自分の中では難しく感じます。せめてどこかの図書館なりコワーキングスペースなら、まだ場所が変わることで強制的にスイッチが入るのだろうと思いますが。。。(とは言っても本当に仕事ができる人は場所選ばず仕事ができると思うので、こういうことを言っている時点で仕事が出来ない人だとバレちゃいますね(;'∀')笑)なので、家の中でもきちんとON/OFF切り替えて仕事している人を本当に尊敬します。

 

そのうちの一人が会社の先輩です。

4月中にどうしても出社しなければならない時があり、その時に普段は現地で活動されている先輩も同じく出社されていました(上記の渡航自粛措置は協力隊の人や現地の専門家の方々にも波及し、現地で事業を行っている人は早急に帰国するよう指示が下されました。今各国で残っている日本人は各事務所の所長クラスしか残っていないと聞きます)。

 

その方とのお仕事が終わって一緒にご飯を食べている際、今受け持っている案件についての相談に乗ってもらってアドバイスを頂いたり、在宅での仕事の仕方についてのアドバイスを頂いたりしました。

 

先輩方は国内におられるときは出社されますが基本的には現地の活動が多いです。途上国での活動では予想外の出来事によく遭遇するため(まだ私は経験したことないですが(笑))、現地の状況が危なくなると一時的に日本へ緊急帰国をするケースがあります。

 

先輩はそういった経験もされているため、まず下さったアドバイス

 

「とりあえず仕事着に着替えたらいいよ。そうすると仕事をしないと、という気持ちになるよ。」

 

というものでした。確かに今までは下のツイートを見たことがあったという理由でパジャマ→私服、には必ず着替えていました。

しかし私服の着替えって欠点があり、くつろいでしまうんですね…。あと眠いと思ったらすぐ横になれるし。(笑)

 

ということもあり、ものは試し…と、早速翌日から仕事をするときは仕事着に着替えて机に向かう意識付けを行いました。

 

なんということでしょう。

 

私服の時よりも集中していると確かに感じます。単純ですよね(笑)それでも仕事着を着ている間は昼寝どころかベッドに向かう気も感じなくなり、ちゃんと時間が有意義に過ごせている感じがします。

 

緊急事態宣言が今月末まで延長されるとの報道がありますが、今月は頂いたアドバイスを基にしてようやく有意義な在宅ライフを過ごしていきたいと思います。

 

ということで今日はこの辺で。

素敵な女性に強みを見つけてもらった話。

こんにちは。

てーはやです。

 

約1か月ぶりになりましたでしょうか…皆様お元気ですか?(笑)

今年は2週間に1回程度…と考えていましたら2月ももうあと一週間もないんですね!

月日が経つのは本当に早いものです…。

 

さて、いつもは国際協力だったりだとか、日々の社会問題について書いている当ブログですが、今回はちょっとばかり話すトピックを変えて、私が経験させてもらったセッションについて書いていきたいと思います。

「強み発掘セッション」とは?

ちょうど先週の火曜日、梅田のとあるカフェでタイトルのようなことをしていただきました。

 

その名も

「強み発掘セッション」!!

このセッションは、吉川梨沙さんという、天満の「エルドラド」というイベントスペース兼バーみたいなところで、2025年の大阪万博の推進や、SDGsについての交流会、はたまた起業支援などのイベントを開かれている、とてもアクティブで素敵な女性がされているセッションです。以前この場所をイベントで使用したときにこの方と知り合いになり、この方のFBを見ているとこんな素敵なことをしているのか…この方を知りたい方はぜひ以下のリンクへ↓

twitter.com

 

いや、今思えばタイトルだけでワクワクするけど、受ける前の自分は何か踏み出す勇気がなかったんですよねぇ。。。

 

このセッションを受ける前、このブログでもちょくちょく紹介している「アラ人(気になる方は前のブログをチェック!(笑))」というグループを自由な集まりから任意団体にしようという動きをしたときに色々と自分がやらかしてしまったこともあり、少し自分に自信がなくなっていました(というよりも自分に自信がある時の方が今まで少なく、ありがたいことに色々と言っていただけることが多いのですが今までは「いや、そんなことはないですよ」と遠慮しかしなかったです)。

 

いざ強みを見つけてもらう!笑

そんな上記の失敗や、その日の午前中に参加していたファシリテーション研修でかなり心が折れていたこともあって(笑)、その時は個人的にやや気分が沈んでいました。

 

ただ、指定されたカフェに到着してからという時間というものは本当にあっという間に過ぎていき、気づけば閉店間際までの約3時間半?ずっとお話ししてました(笑)梨沙さんのすごいところはここからで、喋っている間は本当に楽しい会話なのですが、その会話から自分が持っている「強み」というのを言語化してくれるのです。

 

それがかつて就活をしていた時に自己分析で自分で見つけたことも言っていただきましたが、今まで自分が思っていたけど言語化できない、もしくは強みといえるのかどうかわからないこと、ひいては今まで自分が感じてこなかったことまで発見してくれるので、本当に終わった後の心がとても満たされました。

 

例えば「自分は第三者の目で見ることができる」という強み。

この強みは自分が浪人をしていた際、試験科目に「小論文」があったけど誰も頼ることができず、泣く泣く自分で見た経験があります。これも自分からすると「強みなのかなぁ…」と無意識に感じていた部分もありますが、それを言語化してもらうことで「これも自分の強みなのか!!」と感じることができました。

 

上で書いたようにそこまで自分の強みを言ってくれる人に今までそんなに出会わなかったこともあって、自分が持っている強みを梨沙さんから聞く時間は少し恥ずかしかったです(笑)でもそれも遠慮がちに聞いていた時に

 

「いいって言われたことは素直に受け止めないと!他人の意見の否定は他人の否定になるよ!」

 

っていわれたのも、そうやん…!相手もいいところめっちゃ言うてくれているのにそれを否定してたら自分も相手も否定してるやん。。。という、新たな気づきも得ることができました。上の言葉は言われれば当たり前なんですけど、今まで否定されることの多かった人からすると目から鱗なんですよ。

 

また、自分は好きなことに対してのエネルギーがめっちゃ強くて、やりたいことに関しては情熱をもって伝えれば皆助けてくれるよ!というのもなかなか今まで気づかなかったことだなあと思います。

 

この時にいただいた言葉たちは、これから自分が大切にしていきたい言葉たちだらけで、自分に自信が持てた気がします。

 

残り3日しかないですが…笑

2月末まではお茶代だけで強みを見つけてくれるそうですよー!!!!

もし、今年自分が頑張りたいけどモヤモヤしてる…っていう方は、この素敵な方にご連絡すれば、道が開かれる…はず?笑 でも間違いなく自分が頑張る力は得ることができると思います!!!!!

 

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セッション終了後。笑

姫路がすごいぞって話。

 

こんばんは。

てーはやです。

 

そういや、昨年末に参加したイベントについて書きたいな、と思っていたのですが、気づいたら年を越してた…。。。。。なので、今回は昨年12月11日に参加したイベントのことについてゆるりと書いていきたいと思います。

 

このイベントについて

私が参加したイベントは「私たちの難民問題」というイベントで、(公財)アジア福祉教育財団、(公財)兵庫県国際交流協会、(公財)神戸YMCA、日本国際連合協会兵庫県本部が共催しているイベントです。Vol.20ってチラシに書いてるので毎年やってるイベントかもしれないですね。

 

1回目はルワンダのジェノサイドから生き延びた方からのお話、2回目はシリア難民の現状のお話の次の3回目です。1回目も2回目も行きたかった…ですがまさかの出張と重なるという。泣く泣くのキャンセルメール送付でした。

 

お話について

今回のイベントのタイトルは「ハリー神父とインドシナ難民」ということで、お話された方は元々ベトナム出身で、ベトナム戦争時にボートピープルとして国外脱出し、難民として日本へ来日したそうです。セミナーの最初ではインドシナ難民の歴史についてお話があり、そこから実際に難民として来られた方のお話をお聞きしました。

 

このハリー神父が後述する「定住促進センター」の所長をされていたそうなのですが、インドシナ難民にとって心のよりどころになっていたということ、まだ難民の受け入れ制度が整っていない中での大変な生活について、、、など幾多の困難を乗り越えて現在があるのかと思うととても感動しました。

 

 

「姫路」が難民最初の受け入れ地の一つに

そのお話の中で「定住促進センター」という建物の話が出てきたのですが、このセンターというのが日本に3か所設置され、東日本では東京都品川区(旧:国際救援センター)、もう1か所は神奈川県大和市(旧:大和定住促進センター)に設置されました。そして西日本には兵庫県姫路市に「姫路市定住促進センター」という建物が設置され、それぞれの建物で母語教育支援だったり、定住促進支援が行われていたりしていました。

 

お恥ずかしい話、この施設の存在を知らなかったため、純粋に

姫路市すごい」

という気持ちになりました。

 

成功した「難民」?

この講演会があって1か月経ちますが、登壇者の方が幾度となく「私は本当に運が良かった」ということを繰り返していることを今でも鮮明に覚えています。この登壇者の方は日本で姫路の私立高校に進学した後、上智大学へ進学、その後関東の高校で教鞭をとったあと、現在はその進学した高校で再度、現在も教鞭をとられているとのことです。

 

様々「難民」という講演会に参加させて頂きましたが、この方程「難民」という言葉に結び付かないのは初めての感覚でした(不適切であれば削除しますが、実際そんな感覚になりました)。これは偏見になってしまって非常に申し訳ないのですが、やはり「難民」という言葉を聞くとどうしても「可哀想」「助けてあげなきゃ」というイメージを持ってしまいます。最後の質問でも「当時のベトナムカンボジア難民で登壇者の方のように成功している、もしくはうまく生活できている人の存在が見えてこないのは何故なのか?」といった質問が投げかけられていました。

 

その方曰く、当時の日本では帰化をしないと色々と不便なことがあった(その方の例では、連絡網の中に名前が入っていたとしても何回も同じことを繰り返される、海外旅行に行こうと思ってもビザ申請で待たされてしまう)そうなので、帰化するケースが非常に多かったそうです(約9割くらいいるのではないかとのことです)。

 

さて、上記の話は30年前の話になりますが、現在の状況はどうでしょうか。個人的には今でもこのような状況を強いられているのではないかと考えます(さすがに日本に帰化することはないにしても)。こないだもこのような話になったのですが、日本で難民認定されて生活されたとしても言語のハードルの高さ、(徐々に軽減されていると信じたいですが)異質な人を排除する同調圧力等々で、難民の方の生活が非常に苦しい、という話を聞きました。

 

今こそ、このような悪しき伝統となってしまっているものを打破すべきではないのでしょうか。

 

ということで今日はこれで。

25年。

明けましておめでとうございます。

てーはやです。

17日も経ってこの挨拶はさすがに遅い気しかしないw

 

さて、今日は2020.1.17。

阪神淡路大震災が発生して今日で丸25年になります。

私は当時生まれてまだ弱冠2歳ということもあり、全く記憶がありません。

しかしながら、(主に高校~大学までですが)この時期になると母が当時の状況を語ってくれていました。Facebookには毎年1.17の時期に書いていたものですが、今年はこのブログに書き綴っていきたいと思います。

 

当時両親と私は、浜甲子園にある木造の住宅に住んでいたそうです。隣に外国人が住んでいたようで、隣が騒々しかったと話しているのを覚えています。1995年1月17日5時46分。ドーン!!!という下から突き上げられる感じと激しい縦揺れが私たちが住んでいたアパートを襲いました。兵庫県南部地震阪神淡路大震災)の発生です。幸い当時住んでいたアパートでは火災は発生しなかったものの、木造ということもあって半壊だったそうです。

 

当時はまだ大震災に対する備えがなかったからか、備蓄しているものもなかったようで、家の近くのコンビニエンスストアに行くと、水や食料が真っ先になくなっていたそうです。これはどの時代でも同じですね。

 

母はこの地震を話す度、「お前は縦揺れだったから今生きることができている」ということをよく言われています。曰く、当時住んでた家にはクローゼット等の上にまでは子なりなんなりを積み重ねていたため、それが突っ張り棒の役割を果たしていたからクローゼット等が倒れることがなかったのだとか。真偽のほどは記憶がないので全くわからないのですが、震災発生当時に西宮にいたことも事実だし、今現在生きていることも事実だということも考えると、そうだったのかもしれません。サンキュー箱たち。

 

それから25年。

私自身のことですが、この25年間で多くの大きな地震を経験しました。

平成28年熊本地震

・平成30年度大阪府北部地震

・その他震度5弱以上の地震多数

一番下は皆さんも経験が多いかもしれません。一番びっくりしたのは、新宿の地下か1階かにあるサイゼリヤにいたときに震度5弱地震に遭遇した時はびっくりしました。(笑)

 

この話を友人にすると冗談めかしたように

「ええ~もしかしてお前が地震起こしてんとちゃうん?」

といわれることもしばしばなのですが(笑)、ある人には

「それだけ多くの地震に遭遇しても生きてるってことは強運なんだね!」

ということもいわれるようになりました。

 

確かに。

 

毎年この時期にはとても「生かされている」ということをしみじみと痛感します。

 

今は何の縁か神戸市で勤務をしていますが、普段神戸市の街中を歩いていると震災があったという面影はもはや感じられません。「建物がきれいな街だなあ」「下町ぽい顔があるなあ」というような印象です。

 

しかしそれは多くの方々の努力の結果ということを最近痛感する出来事がありました。

 

去年のある日、仕事の関係でルワンダの方たちと一緒に神戸市にある「人と防災未来センター」という施設に行きました。この建物は、阪神淡路大震災の時の当時の映像を見ることができたり、世界の防災について学ぶことができます。

 

今までこの建物には行く縁がなかったのですが、初めてこの施設を訪れて映像を見たときに衝撃を受けました。毎年この時期に見る阪神高速がなぎ倒された姿、その阪神高速がなぎ倒される前に奇跡的に止まった高速バス、長田区の火災、、、に関してももちろん衝撃です。しかしそれ以上に衝撃だったのは、いわゆる「日常だった光景」(例えば電車に乗りこむ様子、街中を歩いている様子、、、などなど。)が、一瞬にして崩れ去っていく姿を目の当たりにしたことでした。ちなみに一番最初に見学するエリアです。

 

大きな音ともに様々当たり前だと思っていたもの、大事にしていたものが一瞬にして崩れ去っていく様をもし自分が記憶のあるタイミングで見ていたならどのような感情を抱いただろう。何を守ったのだろう。など、色んな事が頭をグルグルとめぐりました。

 

7年前の1.17時、神戸新聞に以下の広告が掲載されました。

 

www.google.com

 

私はこの広告が初めて掲載された時からキャッチフレーズに感動していて、その映像が流れた時にふと、そのキャッチフレーズを思い出しました。

 

「神戸は、強い街だ。

1938年、神戸を水災が襲った。

1945年、神戸を戦災が襲った。

1995年、神戸を震災が襲った。

2013年、神戸はここまできた。」

 

95年の震災から25年。もちろんまだ問題がすべて解決したわけではありません。

しかし復興は着実に進んでいるのではないでしょうか。

 

それぞれの各地には、もちろんですが各地元が大好きで、地元のために頑張ってくださる人がいます。その人たちが頑張ってくれることで、一度ダメージを受けた街でも復興をしていくことができるのだな、と感じます。

 

最後がとてもまとまりのないものになってしまいましたが、

亡くなられた6,434の方々を偲んで

黙祷。

2019年を振り返った話。

こんばんは。
てーはやです。
お寿司と日本酒を食べたり飲んだりしてとてもいい気分です。
 
さて2019年も残りわずかになりました。
今年は本当にあっという間に年が過ぎていきました。。。体感でいうとまだ10月の気分です。笑
 
毎年恒例で今年を漢字一字で振り返ると、世間では元号が変わったこともあって「令和」の「令」が選ばれましたが、私の中では「縁」という漢字です。理由としては、仕事でもプライベートでも様々な「縁」を感じることができたからです。
 
今年は良い方向へ転機の年になったと自信を持って言えます(初めてな気がする。笑)。
 
昨年まで日本国際民間協力会というでインターンをしていたという経験もあったので、次の仕事もINGOでできればと思い、その職種を中心に探していましたが、連戦連敗でした。当初は開発コンサルタントとして働くことは考えていなかったのですが、ワンワールドフェスティバルで開発コンサルのセミナーに出てからは開発コンサルの仕事も面白そう!だと思ってそこから視野に入れるようになりました。
 
ただ色々調べていくなかで必要条件のハードルが高いこと、東京に会社が集中していることなどの理由で転職が難しいかな…と思ってた矢先の今の弊社。これは本当に「縁」なんだろうなぁと感じた瞬間でした。
 
その仕事では「SHEPアプローチ」国内研修のサポートから始まり、コーヒー輸出競争力拡大研修でロジを担当したりと、主には国内での仕事が中心でした。ただ愛大にいた時にフィリピンの方達とこの研修の一環で交流させてもらった時に、こういった仕事をしたい!と思っていたので、その仕事ができてよかったです。
 
また、仕事以外では「アラ人(じん)」というグループが今年立ち上がり、色々な経験をそのグループでさせてもらいました。人前で話す経験をしたり、イベントのサポートしたり、フリマしたり…!特に最後のフリマについては個人的に「やりたい!」といったイベントが実現できて本当によかったし楽しかったです。
 
さて、次の年はもう2010年代も終わり、いよいよ2020年代がやってきます。ちょっと新しい気分になれそうです。
 
それでは皆様、どうかよいお年を。
 
(自分のFacebookより転載、一部編集)

「オーバーツーリズム」を考えてみた話。

こんにちは。

てーはやです。

 

気づけばもう12月…。一年が過ぎるのはあっという間ですね。

先月は仕事でバタバタし、先月末から出張が入って、その出張から帰って来てからずっと謎の喉痛に襲われています…。

 

つい先日耳鼻咽喉科を診療してきたのですがインフルと診断されなくて良かったです。いや、診断された方が良かったのかな(←

 

今日は久しぶりの投稿ということで、色々気になることがあって書きたいのですが、先月気になって、つい最近意味を知った「オーバーツーリズム」について書いていきたいと思います。

 

 

事の発端

私は先月、プライベートと仕事で2回京都へ行きました。11月の京都と言えば観光シーズン。11月の比較的混んでいない時期とはいうもののさすが京都。あらゆる公共交通機関があふれかえっています。京都の在住者であれば発狂を通り越してある種の悟りの域を超えるのではないでしょうか…。

  

1回目は相手が混雑を避けたがっていたとはいえ、伏見稲荷四条河原町、嵐山などを散策しました。それでも人が多いので宇治方面を観光しました。(宇治初めて行きましたが人もそこまで多くなくていいですね!!)ただ、途中使用した京都駅→稲荷の電車が激混みだったり、京都駅→四条河原町205系統のバスだったりは、すぐにいっぱいになってました。

 

2回目は日本文化体験ツアーの添乗で伏見稲荷(2回目)、金閣寺錦市場…というコースが組まれていました。休日ということもあって人、人、人、、、という状態でした。帰りも烏丸から京都南ICに乗るのに通常20分かかる道のりが1時間かかったりと…。へとへとでした。

 

「オーバーツーリズム」とは?

この「オーバーツーリズム(Overtourism)」という言葉は、2016年にアメリカの観光会社であるスキフト社で初めて作られ、2018年には、国連の観光専門機関であるUNWTO(United Nations World Tourism Organization)が、‘Overtourism’? - Understanding and Managing Urban Tourism Growth beyond Perceptions, Executive Summary(日本語訳: オーバーツーリズム(観光過剰)?」-都市観光の予測を超える成長に対する認識と対応)、という報告書の中で初めて出てきました。

 

この単語の明確な定義はまだはっきりとあるわけではありませんが、上記の報告書の中では、「デスティネーション全体又はその一部に対し、明らかに市民の生活の質または訪問客の質に悪い形で過度に及ぼされる観光の影響(2018;‘Overtourism’? – Understanding and Managing Urban Tourism Growth beyond Perceptions,Executive Summary Japanese version,pp4)」だと定義できると言います。

 

また、同報告書では観光混雑に対しての以下の俗説も否定しています。

 

・観光による混雑は訪問客の数だけでなく、それに対応できるキャパシティが関係する。

-訪問客が増えすぎ、恐らく季節によって更に悪化している

-訪問客による悪影響が大き過ぎる

-訪問客による経済的、物理的影響が大き過ぎる

・観光による混雑は一般に、市全域の問題というより局所的なものである

・観光による混雑は観光に限った問題ではない

・技術的解決策あるいはスマートソリューションは重要だが、それだけでは観光による混雑の問題は解消されないだろう

 

…確かに…全部京都で体験したやつや…。

もちろん、上記の例は京都だけではなく、国内の人気観光スポットとして挙げられている北海道、東京、大阪、奈良などにも当てはまると思いますし、世界の観光地でも同様の問題が起きているそうです。確かに近年観光産業は目覚ましい発展を遂げてきており、その発展は目を見張るほどです。しかしながら、

 

G20でも話されたけど…。

今年、大阪でG20首脳会合が大阪で開かれたことは記憶に新しいと思います。今年は日本各地でG20の関連会合が開かれましたが、関係閣僚会合として10月に北海道でG20観光大臣会合が開催され、「北海道倶知安宣言」が採択されました。

 

以下が倶知安宣言の本文です。

http://mlit.go.jp/kankocho/content/001314848.pdf

 

倶知安宣言では想起の内容として15項目、考慮の項目として3項目、合意内容として15項目の計33項目について記載されています。特に合意内容の所を何個か抜き出してみると

・観光をSDGs(持続可能な開発目標)の貢献に促進させる

・資源を保護しながら体験させつつ、その利益の更なる保護や地元経済への共有に繋げていく責任ある観光を促進する

イノベーションを促進し、持続可能な企業を創出

・効果的な訪問客のマネジメントを促進し、新技術、デジタルスキルと資金へのアクセスを含めた中小企業の発展を支援するためにデジタル化を最大限に活用する

 

…など、合意内容については「持続可能性」や「イノベーション」に関係する言葉が多々並んでいるのですが、このブログを最初から読んでくださっている心優しい方()ならもしかするとお気づきかもしれませんが、

 

あれ?

オーバーツーリズム解決できなくね?

 

とお思いになりませんか?

各合意内容の文言で「最大化」という言葉があるのが上記の「…効果的な訪問客のマネジメントを促進し、新技術、デジタルスキルと資金へのアクセスを含めた中小企業の発展を支援するためにデジタル化を最大限に活用する」という箇所のみです。

 

確かに文言自体は「中小企業の発展」を支援するための手段としての「デジタル化の最大化」というように記載していますが、この中小企業は主には観光産業を対象とした中小企業であり、要は「観光産業の発展の支援のためにデジタル化することを最大限頑張ってね」というように解釈したのですが、ご意見のある方はぜひお待ちしております。

 

いずれにせよ、上記の文言は、「オーバーツーリズムとは?」という所に記載した「・技術的解決策あるいはスマートソリューションは重要だが、それだけでは観光による混雑の問題は解消されないだろう」という言葉と真っ向から矛盾してくるわけです。

 

日本だけに限ってみると、来年は東京オリンピック、2025年には大阪万博があるのに、さらに言うと政府目標として2020年に観光客4000万人を標榜しているので、観光客を抑制するような政策は取りたくないのでしょうな…。

 

まとめ

この問題って「常連で通ってたお店をある日突然ミーハーな人に取られてしまった」問題に似ているかもしれません。今まで様々な理由があってそのお店が好きになり、ずっと通っていたものの、ある日テレビや雑誌に取り上げられてしまったせいで繁盛はするけど常連さんが来なくなってしまう、というような状況です。そのお店はいずれお客もいなくなり、常連もいなくなってしまった挙句に店をたたんでしまうという状況になるでしょう。

 

どこの観光地でもそうだと思いますが、それぞれの観光地は今まで地元に住んできた方が大切にその場所を守ってきたからこそ、今、観光地として成り立っているのだろうと思います。しかし、一時期の繁盛に目がくらみ、周辺住民の生活を犠牲にすると、今までそこに住んでいた住民がストレスを感じて別の場所に移動することを検討したり、いなくなってしまうかもしれません。そういった状況が「持続可能的」といえるのでしょうか?

 

個人的に、持続可能的な観光にするには、近年増加傾向にある観光客を減らすことはできませんが、観光地に行くときは「郷に入っては郷に従え」の精神が非常に大事になってくると思います。観光地に行くとつい気が緩んでしまいがちですが、現地のマナーをしっかりと厳守する、警備員さんや駅員さんに一言「いつもお疲れ様です」などと声をかけると地元の人々のストレスも多少は軽減されるかもしれませんね。

 

それでは今日はこの辺で。

最近の「私刑」について考えてみた話。

 こんにちは。

てーはやです。

 

すっかりと秋が深まり、紅葉の便りもだんだんと届いてくるようになりました。

昨日かおとといには木枯らし一号が吹いたようで、段々と冬将軍の足音も近づいてくるのでしょうか。

 

さて、今年の下半期をにぎわせてる大きな事件の一つに「神戸市立東須磨小学校教師いじめ事件」があります。報道が出てきたときは衝撃で、私もいじめた教師は教壇に立ってほしくない旨のツイートをしました。しかし、現在SNS、特にTwitterでは実名が上がるほどに個人が特定され、その個人に対してこれでもかというくらいに徹底的に叩き潰しています。個人的には「やりすぎ」だと思いますが、なぜこんなにも「容疑者いじめ」が過熱しているのでしょうか…?

 

これらは通称「ネット私刑」といわれていますが、今回はこの「私刑」について考えてみたいと思います。

 

 

構造は正義感からの「教えて君」と「教えてあげる君」だと思う

2015年センター試験現代文の第一問目に、佐々木敦さんが書かれた「未知との遭遇」という本の一部が試験に出題されました。以下は、試験問題からの引用です。

 ネット上で教えを垂れる人たちは、特にある程度有名な方々は、他者に対して啓蒙的な態度を取るということに、一種の義務感を持ってやってらっしゃる場合もあるのだろうと思います。僕も啓蒙は必要だと思うのですが、どうも良くないと思うのは、ともするとネット上では、啓蒙のベクトルが、どんどん落ちていくことです。これはしばしば見られる現象です。たとえば掲示板やブログに「○○について教えてください」などという書き込みをしている「教えて君」みたいな人がよくいますが、そこには必ず「教えてあげる君」が現れる。自分で調べてもすぐにわかりそうなのに、どういうわけか他人に質問し、そして誰かが答える。そして両者が一緒になって、川が下流に流れ落ちるように、よりものを知らない人へと向かってしまうという現象があり、これはナンセンスではないかと思います。ツイッターでも、ちょっとしたつぶやきに対して「これこれはご存知ですか?」というリプライを飛ばしてくる人がいますが、つぶやいた人は「教えてあげる君」に教えられるまでもなく、それは知っていて、その上でつぶやいたのかもしれない。だから僕は「教えて君」よりも「教えてあげる君」のほうが、場合によっては問題だと思います。

(2015年 センター試験「国語」より佐々木敦未知との遭遇」(問題文の一部を変更しています))

この本の著者はこの後、啓蒙をするよりもされるほうが、自分にとっては利になる(自分自身は啓蒙は他人に任せたいが)が、ネットが普及した昨今ではオリジナルを見つけるのはたやすいため、受け手にもリテラシーが必要であるといったことを「ネット」というなじみやすい例で紹介していました(受験生や、塾でバイトしたことのある人ならこの問題は解いたことあるかもしれません)。

 

やや著者の解釈とは異なってしまうのですが、この構造って個人的には「教えて君」と「教えてあげる君」だと思います。前者の人は問題となる記事を見て、「こんなこと許せない!!私はこんなことをする人を徹底的にたたきたいけど、他の人を巻き込むのはイヤ!だから早く特定班は特定を求む!」という人で、後者はそのツイートもしくは問題となる記事を見ることで「こんな許せない人がいるのか、そしたら個人を特定して、情報を皆に拡散することで徹底的に叩き潰してやる」という人だと思います。両者の利害が一致した結果、「炎上」という形になるのではと考えます。

 

この構造の場合、両者に共通している点というのは「正義感」です。でも「正義感」という感情のそれ以上でもそれ以下でもないと思いますし、ただその感情を使用して、自己満足に浸りたいだけなのだと考えます。もちろん、大前提として私自身も「いじめ」られた経験がある以上、いじめについては到底許されるものではないと思いますし、(今回の場合でいうと)教師たちは十二分に猛省し、二度といじめをしないという誓約をしてほしいです。

 

しかし、教師が教師をいじめたからと言って、いじめた教師をつるし上げるのはそれはまた別問題で、これでは何も構造が変わりません。正義感で個人を特定したSNSアカウントさん(特にTwitterかな?)、

あなたもしてることは

いじめた教師と同じですよ???

 

私刑は法律で禁止されています

そもそも日本では「私刑」は憲法で禁止されています。憲法31条には以下のように規定されています。

第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

e-Gov法令検索

高校の「現代社会」もしくは「政治・経済」で学んだことがあるかもしれませんが、いわゆる「罪刑法定主義」ってやつですね。日本は法治国家のため、法律で定められた手続きによって、その手続きを行う人たち以外には、法律で規定されている以外の罰を与えることができない、という条文です。

 

また、刑法においては「私刑」の禁止を規定する明確な条文はありませんが、例えば「いじめられた両親」を名乗り金品を請求するようなこと(ないかもしれませんしないことを信じたいです)をすれば詐欺罪が成立しますし、また「いじめられた教師の気持ちになれ!!」とって暴力をふるえば暴行罪が成立します。さらに言えば、個人を特定していわれのないことを言ったりすれば名誉毀損罪に該当する可能性だって十分にあります。

 

なので、

三者であるあなたに個人を特定する権利もないですし、

まして精神的に追い詰めるたり、
暴力をふるう権利なんかないですよ???
 

私刑をした結果

下半期を騒がせたもう一つ大きな事件としては、今年の8月に常磐道煽り運転の事件だと思います。その助手席に座っていた女が、ドライブレコーダー越しに被害を受けた車をガラケーで撮影していたことから「ガラケー女」として一時期ニュースに出ていました。この時のニュースに出ていた服装がなんとなく似ているというだけで、見知らぬ人がSNSで誹謗中傷を受けるという悲しい出来事がありました。その拡散には豊田市議も関わっていたようで、その市議は辞職に追い込まれることとなりました。
 
「拡散をする」だけで「私刑」になるのかについては十分な議論がなされていない為何とも言えませんが、今はボタン一つで簡単にリツイートが出来ることもあって、情報を受け取る側の「メディア・リテラシー」が非常に重要になってきていると思います。特に最近は個人的に憂慮するレベルで酷くなっていると思います(と自戒も込めて。。。)。
 
今年の1月から3月にかけて日本テレビ系列で放送していたドラマ「3年A組ー今から皆さんは、人質ですー」の中で菅田将暉演じる柊一颯が最後の最後に演じたシーンの中でこう言ってたことは見ていた人は記憶に残っているのではないでしょうか?
 
…『だから刻んで欲しいんだよ!右にならって吐いた何気ない一言が、相手を深く傷つけるかもしれない。独りよがりに、偏った正義感が、束になることでいとも簡単に人の命を奪えるかもしれないってことを。そこにいる君に!これを見ているあなたに!ひとりひとりの胸に刻んで欲しいんだよ。他人に同調するより、他人をけなすより、まずは自分を律して、磨いて作っていくことが大切なんじゃないのか。ってかそっちの方が楽しいだろう。その目も、口も手も、誰かを傷つけるためにあるわけじゃない!誰かと喜びを分かち合うために!誰かと幸せを噛みしめるためにあるんじゃないのか?そうだろう!もっと人に優しくなろうぜ!もっと自分を大事にしようぜ!』…
このドラマ自体結構私も好きで、毎週欠かさず見ていました。特に私も最後の柊先生の言葉に関しては食い入ってみていました。上記の言葉の通りで、人をけなすことで人生を消費するより、自分のために時間を使う方が絶対に良い。
 
 
メディア・リテラシー云々言う前に、
ネットで情報が溢れていて、何も考えずに情報が手に入る今だからこそ、
考えて行動していきませんか?
 
ということで今日はこの辺で。
 
 

奨学金について考えてみた話。

こんにちは。

 

当初「毎日更新するぞ!」と意気込んでいたものが、ややトーンダウンして「月の半分更新できたらいいか」と思ってたらいつの間にか10月も終わり…。

気づいたら早11月です。

 

月日の過ぎるのは早いものですねぇ。

 

先日のアラブ料理クッキングについてはまた後日開催報告しまーす。

 

さて、今日は何のことについて書こうかなぁ、と思いながら(実は思ってない。(笑))、Twitterを眺めているとこのツイートが流れてきました。

 このツイート、そしてこの方のはてなブログを拝見させていただいて、奨学金についていろいろと思うことがあったので、今回は「奨学金」についてお話しできればと思います。

 

 

ブログを拝読した所感

このブログの筆者は本当に絶望に感じただろうな、自分が同じような立場になったとしたら。このブログの中に出間違いなく留年して中退していただろうな、と感じました。そのブログの中にも出てきている「トビタテ!留学Japan」は、私が大学3回生の時できたプログラムで、私自身も2回応募して2回落ちました。(笑)

 

今になってよくよく考えると、周りは留学を前提に考えてその資金調達、ということだったと思いますし、このブログの著者もそうでした。しかしながら私の家はまず留学に反対していたのを押し切ったのと、そもそも留学にお金を出せるような家庭ではなかったので、この奨学金が通らない=留学にいけない、ということで、留学の実現可能性は極めて不透明でした。

 

まあ、そりゃ通らんわな。(笑)

 

そんなことはさておき、この奨学金奨学金に変化するということはとても恐怖に感じたことだろうと思います。「もらえる」と思ってもらって使ってるお金ですもん。「借りたお金は返せ」と言ってしまえば確かにそれまでになってしまうのですが、そもそも「え?これもらえるんじゃないの?」って思ったのではないでしょうか。

 

「給付型」の奨学金の少なさ

奨学金については、こちらのサイトから確認できます。また、留学等の奨学金ではトビタテ留学JapanのHPからも確認することができます。

xn--kus49bd41h.net

もしかしたら、ここには載っていない給付奨学金もあるかもしれません。

…が、やはり給付型奨学金は少なさが際立ちます。

 

私は近畿地方に住んでいるので2府4県の奨学金情報しか見ていないのですが、各自治体が出している奨学金の多くは高校の奨学金までで、大学の奨学金となると医学系もしくは社会福祉系分野でなら給付型奨学金がありました。しかし貸付奨学金というものは多くある一方で、それ以外の学問分野では貸与奨学金すら見かけられませんでした。

 

また、民間の団体が拠出する奨学金の多くは給付する大学(特に旧帝大クラスや早慶上智クラスなど)や、学問分野が限定されており、地方国立大などは中々手が出るようなものではありません。

 

本当に貧しい人は情報をまず得ることが困難だと思う

上記のように、私も留学にお金を出してもらえるような家庭ではありませんでした。さらに言うと、大学に進学することも当初は反対されていました。それでも、大学で学びたいという気持ちを両親に見せるために宅浪し(ここは自分がもう少し効率的に勉強ができなかったからですね💦)、早朝に新聞配達のアルバイトをして、そのお金で模試を受験する、といったような状況でした。

 

また、まだ当時iPhone3が出てきて、まだまだガラケーが主流だった時代、そもそも親に携帯を持つことを禁止されていた(お金が払えないのが理由です)のに加え、自宅にパソコンがありませんでした。そのため、奨学金の情報を得るためには、高校の進路指導室までいかなければなりませんでした。

 

が、JASSOの資料はこちらが言わなくても出てくるようなスピードで資料が渡されたのに対して、他の奨学金に関する情報を貰った記憶がないんですよね。。。自治体によっては各自治体が拠出している奨学金もあるのですが、多くは残念ながら上記のサイトでは、私の学びたい分野なので、高校在学(浪人)時の私の認識としては

 

「あ!大学に進学するならJASSOから借りなければいけないんだ!」

「借金しないとあかんのか…頑張るしかないか」

 

ぐらいの認識でした。あほ丸出しですよね(笑)

それでもパソコンを持っていない人の情報源って本当に限られているので、学校で配られない限りひょっとするとJASSOという言葉も知らない人もいるのでは?と思います。

 

そもそも論でいうと、「利子付貸与奨学金(いわゆる第2種奨学金)」ってもはや奨学金ではないのでは?と感じます。利子がつくのであれば「第2種奨学ローン」などにして、学資ローンであることをしっかり伝えるべきだと思います。2017年度に給付型奨学金に関する法律が制定し、ようやくJASSOも給付型奨学金を給付し始めましたが、給付される範囲が狭いなど様々問題もあるようです。

 

だんだんと給付型奨学金が増えてきたとはいえ、進学したいと思っても進学できない家庭はまだまだあると思います。「お金」が原因で進学を断念せざるを得ないことほどもったいないことはないと思うので、進学する意思をしっかり持った人が、皆しっかり進学できる世の中になってほしいと思います。

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ウイグル料理が大阪で食べれるお話。

こんにちは。

てーはやです。

 

昨日、初めてウイグル料理を堪能してきました。

そのことについてのお話です。文中、ウイグルとは関係なくキルギスキルギスと出てきますが、なぜキルギスが出てきたかといいますと、参加者にキルギスへ旅行に行ったという方が多かったからです。なので、キルギスのこともちょくちょくお話に出てくることはご承知おきいただければと思います。

 

 

キルギスとは

まずは概要からです。

面積 19万8,500平方キロメートル(日本の約半分)
人口 620万人(2019年:国連人口基金
首都 ビシュケク(Bishkek)
民族
キルギス系(73.3%),ウズベク系(14.7%),ロシア系(5.6%),ドゥンガン系(1.1%),ウイグル系(0.9%),タジク系(0.9%),その他タタール系,ウクライナ系など(2018年:キルギス統計委データ)
言語 キルギス語が国語。(ロシア語は公用語
宗教 主としてイスラムスンニ派

キルギス基礎データ | 外務省

 

キルギスカザフスタンの下にあり、時差は約3時間だそうです。

実は私の会社の先輩もキルギスで働いていた経験があり、社内報の作成のために写真をいただいたのですが、とにかく写真の一枚一枚が素敵すぎる。とても自然にあふれていて綺麗な国だなあというのが率直な私の印象です。

 

さて、この中央アジアの料理なんですが、実は関西で食べることができるんです。先日紹介した「アラ人」というグループのメンバーで、時間があった人と一緒にエスニック料理を食べに行こう、という企画で、昨日ウイグル料理を食べてきました。そのお店の名は、「ムカーム」といいます。

 

ウイグル料理店「ムカーム」は別世界だった

御堂筋の大通りを一歩抜けるとそこは…

「ムカーム」の最寄り駅は、阪神近鉄・地下鉄の大阪難波駅です。大阪難波駅の25番出口を出て、すぐ左に曲がるとあります。御堂筋の大通りから一歩曲がったところにあるので、個人的にはすごく穴場感がありました。(笑)

 

昨日は雨も降りしきっており、集合時間も迫っていたため、集合時間の10分前にお店に入店。店員さんはぱっと見日本人かなあと思いましたが、どうやらウイグルの方のようでした。このお店は2階にも座席があり、開口一番に「1階席と2階席どちらがいい?2階席でもいいけど1階席も準備するね~」といわれましたが、どちらでもよかったので(笑)「ああ、大丈夫です!それじゃあ2階席に行きますね!」と伝えて2階席へ。すると2階席はまるでモスクのごとくペルシャ絨毯が敷かれ、モスクの絵が飾ってあり、一面鏡張りになっていて、異世界感が満載でした。

 

このまま2階席でもよかったなあ、と思っていたのですが、お店の人曰く、

・音楽がないのでとても静かな空間であること

・呼び出しボタンがないため店員さんが気付かないこと

の2つの理由で、1階席を再度案内されました。

ただ、2階席は2階席で十分、見るだけでも価値があると思います。

 

ハラルフードが中心

 

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ハラールマーク


上述の通り、キルギスウイグルなどの中央アジア諸国はムスリム国家が多い(というよりも全部の国家がムスリム国家な気がする)ので、レストランでは、ムスリムの人でも食べることができる「ハラールフード」が提供されています。ここも例に漏れず、ハラールフードのみが提供されていました。肉料理が中心で、特に多かったのは羊肉を加工したものだと思います。

 

ただ羊肉もうまい。

カワップと呼ばれるラム肉の串焼きを食べたのですが、脂身もあってすごくおいしかったです。ラム肉というとかなり淡泊な印象があったのですが、こんなにジューシーなのか、と思うくらいジューシーでおいしかったです!

 

また、中央アジアで定番(らしい)ラグメンというのも食べたけどこれがまた美味い…!ラグメンは麺料理なのですが、うどんみたいにもちもちしてるのにうどんほどの太さではなく、パスタみたいに細い麺で、パスタとうどんのちょうど真ん中みたいな感じでした(そのままw

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ハラールフードの現状

 ハラールレストランが徐々に増えてきたとはいえ、まだ十分に店舗があるとは言えないと思います。国内最大のムスリム向けレストラン検索サイト「ハラールグルメジャパン」に掲載されている東京都内のレストランは311店舗。大阪府内では56店舗にとどまっています。

 

ただ、料理に関する条件に

ハラール認証あり

ハラール肉使用

・豚肉なし

ハラール調味料使用

ハラール料理あり

ベジタリアン料理あり

 

という条件を加えて検索してみると、東京都内ですら58店舗にとどまり、大阪府内に至ってはなんと8店舗しかないというのがハラールフードの現状です。しかしながら、「国内最大」を謳っているそのサイトでさえ、掲載件数が785件にしかないため、

ハラールフードを扱っているお店の絶対数が少ない

ハラールフードを扱っているがまだ知られていない

という2つの要因が考えられると思います。ただ、約60万件以上あるといわれている国内の飲食店数を考えると、そのうち800店舗ほどしかないのは控えめに見ても少ないと思います。

 

ちなみに「ムカーム」はそもそも掲載されていませんでした。

キルギス人と仲良くなれるかも?

こういった理由からか、ムスリムの人が昨日もよく食べに来ている印象でした。主催者の知り合いがキルギスに友人がいるとのことで、キルギスと電話をつなぐということをしてくれたのですが、その時に乱入したのがキルギスの方々でした。

 

関西は中央アジア系の人が多い、ということを会社で聞いたことがあったので、国内で中央アジアの人々との国際交流ができるかもしれませんね…!!!

 

今日はこの辺で!

気になった方はぜひ以下のリンクへ!

silkroadmuqam.owst.jp

シリア料理クッキングが関西で出来るよ!って話。

こんにちは。

てーはやです。

 

以前、「自己紹介に書くの忘れたけど私は中東・アフリカ地域が好きです!」ってお話ししました。あれ?話はしてないか。まあいいや。

 

今日は、私も一員となって活動しているグループのお話です。

はい。宣伝です。(笑)

 

 

 

アラ人(ジン)とは?

アラ人(ジン)というグループは、今年の6月にPiece of Syriaの代表である中野貴之さんの発案で「社会をワクワクしながら変えちゃう会議」が行われ、そこで、皆が「アラブのイベントができたらいいよね!(注:この時の参加者の多くがアラブ諸国渡航経験がある、もしくはアラブ文化が大好きという人たちが集まりました)」ということでアラブ系のイベントをする有志によって集まりました。

 

このグループに所属している人は本当にバックグラウンドが多種多様で、アフリカを旅行してきた大学生や、環境のために活動している人、デザイナーもいるし、はたまた医療に携わっている人…などなど、学生や社会人が混ざってます。このグループの集まりには数多く出席させてもらってますが、いつも笑ってる気がします。(笑)

 

過去に行ったイベント

そのアラブパーティの前段階のイベントとして企画したのが、8月に行われた「アラブの歩き方~知ってるようで知らないアラブ~」というイベントです。

www.facebook.com

このイベントは実はスピーカーとして出席させていただきました。

当日は自分がなぜ、国際協力業界に興味を持ったのか、そして今の仕事にどのように結びついたか…などの話をさせてもらいました

が、

冒頭の説明でアドリブ力のなさを露呈する羽目になってしまいました。。。

とほほ。。。

 

まあ自分の反省はここまでにしておいて(いや、誰も求めてなかった)、

当日のスピーカーのお話はとても興味深いものがありました。

 

アラブ人との国際結婚の話。

アラビア語圏に留学をした人の話。

アラブ料理が好きな人の話。

 

その中でもバーレーンという国に留学していた方のお話を聞いてたんですけど、色々と衝撃というか、すごいというか(語彙力)なかなか行ったことのない国の生活の様子を知ることは色々と勉強になります。

 

今回のイベント

さて、今回このアラ人が、ついにクッキングの企画をすることになりました!!!

(パチパチパチ

 

www.facebook.com

 

「世界のごちそう博物館」で有名な、本山尚義さんと一緒にに、シリア料理である「マグルーベ」「ホンモス」「カバブヒンディー」「チョパンサラダ」「ライスプディング」を作りましょう!

 

私も現地でマグルーベとホンモスは食べたことありますが、ほんとにおいしい!

こんなおいしいものを知らなかったなんて、と初めて後悔したほどです。

 

ここでは、少しだけ作る料理をご紹介します。

メインディッシュの「マグルーベ」というのは、いわゆる「炊き込みご飯」なのですが、その盛り付け方に特徴があります。ご飯というと、炊飯器からそれぞれ一人ずつ茶碗によそって…というイメージがありますが、このマグルーベはそのままご飯が入った鍋をひっくり返すのです。写真は実際に私が経験したマグルーベです。

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これ書いたらおなかがすいてきた。。。(笑)

あまりアラブ料理って縁がないかもしれませんが、本当にアラブ料理って美味しいんですよ!!このイベントを通して、アラブ料理の良さが伝わってくれたらなぁ。。。としみじみと感じます。

 

お時間のある方、アラブ料理に興味のある方、とにかく食べるのが好きな方など!

ぜひぜひ、一緒にアラブ料理作りませんか?!

arajin-cooking.peatix.com

 

と、がっつり宣伝をしたところで今日はこの辺で。(笑)

自己責任っていう言葉ほど無責任な言葉ってないよねって話。

こんにちは。

てーはやです。

 

台風19号は温帯低気圧に変わりましたが、各地に甚大な被害をもたらす結果となってしまいました。あれだけ1週間前から「最強クラスの台風」といわれるだけのことはあった…。今日は、この台風の時にまで蝕んだ、「自己責任論」について考えていきましょう。

 

 

「自己責任」って言われるタイミングを考えてみた

私は、この「自己責任」という言葉は力や権力を持っている人が、自ら責任を取りたくないために使う非常に無責任な言葉であると思います。小さな自己責任論でいうと、「体調を崩すのは自己責任」とよく言われると思います。確かに、極寒の中半袖短パン(もしくはスカート)で街中を闊歩して風邪をひいたり、夜更かしした結果体調を崩す、というようなことは自己責任、で片付けられることが多いのではないでしょうか。

 

では、それをせざるを得ない環境になってしまった時、それは自己責任といえるのか?

上の一つ目の例で出した「寒い中半袖短パン(もしくはスカート)で街中を闊歩する」ことを上の人から強制されていたり、夜更かししなければならなかった理由が「上司から頼まれた仕事が終わらなくてせざるを得なかった」となると、これは自己責任といえるのでしょうか?

 

この無責任さは、自分が新卒で入社した会社でまざまざと感じました。

私が新卒で入社した会社では、月80時間残業するのはザラで、多い時にはひと月100時間残業していた時もありました。もはや厚生労働省が定める「過労死」レベルです。業務が訪問販売系ということもあり、1件もアポイントが取れないと居残りで営業トークを覚えないといけない、ロールプレイングをしないといけないという感じでした。また、アポイントが取れたら取れたで後日訪問する際の書類作成に追われ、結局は残業になるのです。

 

ある時、深夜1時まで作業をして翌日(もはやその日ですね(笑))9時に出社しなければならない、というのが1週間続いた気分が悪くなり、吐き気を催しました。病院によってから出社しようと考えて上司に電話をしたら「俺らは時間通り出社してるのに何でお前なんで遅刻してくんの?さぼんなよ!」と説教を食らう始末。「いや、さすがにああの時間まで残ってると…」と言おうとすると「それでも体調管理しなかったのは自己責任。そんなんで体調崩すって社会人失格」と、ついには烙印を押されてしまいました。

 

台風19号でも言われた「自己責任」

さておととい上陸し、甚大な被害をもたらした台風19号

この日経の記事が物議をかもしています(有料版でした)。

 

「もう堤防には頼れない」 国頼みの防災から転換を (写真=共同) :日本経済新聞

 

昨年の西日本豪雨を受けて開かれた中央防災会議で、行政主導の対策はハード・ソフト両面で限界があるから「自らの命は自ら守る意識を持つべきだ」と発想の転換を促した、というような報告がまとめられた、という内容の記事です。

 

確かにここ数年の災害規模は甚大なものであり、各々の意識改革が必要なことは言うまでもありません。しかしだからといって河川の氾濫の対策が限界だから、自分の身は自分で守ってね、仮に氾濫してもその時は自己責任でね、というのは話が通らないと思います。加えて、この記事の中にダムの建設をするのは「費用対効果」から慎重になるべきだ的なことが書かれていたのですが、この「費用対効果」という言葉に私は非常に違和感を覚えました。

 

いつから「自己責任論」という言葉が出てきだしたのか?

今ではすっかりおなじみとなった(?)自己責任論ですが、ではこれはいつごろから言われ始めたのでしょうか。色々とみている中で、多く記事が出ていたのは、2004年のイラク人質事件で日本人が人質になってからだそうです。文春の下の記事が結構まとまっていました。

bunshun.jp

 

責任を取りたがらない大人たち

この「自己責任論」は徐々に勢いを増し、ついにSNSでは「手取り14万円は自己責任」だったり「貧困は自己責任」などという暴論が日常茶飯事で流されるまでになりました。冒頭でもお伝えした通り、この「自己責任論」というのは、権力や力を持っている人の責任逃れのためのロジックにしかすぎないということをお話ししました。そういった力を持っている人は、その力を発揮する「権利」があると同時に「責任」も同時に生じると思います。その責任を自らがとることなく、自分より下の人たちにその責任を押し付け、権利のみを主張する人も増えてきました。うまいこと行けば自分の手柄になるし、悪いことや失敗したら全部下のせい。そんな人は上の立場につくべき人間ではないと思います。

 

役職がつくということはお金が増えると同時に責任も増えるということ。

役職ついてる人、カネもらってんだから責任くらいとりましょーや。

 

というところで今日はこの辺で。

ブルーエコノミーって何??な話。

こんにちは。

てーはやです。

 

台風19号が近づいてきていますね…。

私の住んでるエリアは幸いにも暴風域には入らないのですが、それでも風の音が凄いです。。。十二分に対策をとって、自分の命を守る行動をとってください。

 

今日はこんなこと書きたいなぁと思っていたことが、ちょうど海(台風は海からやってくるから…っていうのはやや強引な気もしますが(笑))のお話です。

 

皆さんは「ブルーエコノミー」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

この概念が、アフリカで徐々に注目をされ始めています。今日はそんなお話。

 

あ、自己紹介で言い忘れていましたが、私が特に好きな地域は中東エリアとアフリカエリアです(まあ理由はおいおいということで。(笑))。なので、この地域のことについても書いていければと考えています。

 

「ブルーエコノミー」とは?

近年出てきた概念なので、まだ明確な定義づけなどはありませんが、様々なサイトや本を見てみると「海洋や河川などの水環境を保全しつつ、水産資源を持続的に利用していく」といったところでは共通していると思います。「SDGs 水版」ぐらいの認識でしょうか…(甘すぎ)

 

どうしてこの概念が提唱された?

この概念が最初に提唱されたのは、グンター・パウリ氏が2010年に出版した著書「The Blue Economy: 10 Years, 100 Innovations, 100 Million Jobs」という本です。彼は、体や健康に良いものが高価であるというビジネスモデルに対して、フリーであるべきだと信じ、廃棄物を出さずに研究を行う「ゼロエミッション研究構想」を提案し、ZERI (Zero Emission Research Institute)を設立した人で、グリーンエコノミーよりもさらに良い枠組みを検討し、「ブルーエコノミー」と名付けました。

» グンター・パウリ(TED×Tokyo Archiveより)

彼はその本の中で初めて「ブルーエコノミー」という言葉を使用しました。当初、この本は

①起業家を刺激すること

②持続可能性のために、高標準化をすすめていくこと

の2つの目的で執筆されたそうです。この本はその後、2014年には「Blue economy2.0」,2017年には「Blue economy 3.0」という本が出版され、ブルーエコノミーという言葉が広がっていきました。

 

日本語では2012年に「ブルーエコノミーに変えよう」という本が出版されています。 

ブルーエコノミーに変えよう

ブルーエコノミーに変えよう

 

 

この概念にアフリカが関心を示したのです。

実際、TICAD 6(アフリカ開発会議)が2016年にケニアで行われた際、ブルーエコノミーをケニアが重要視しているということが話され、その翌年にはケニア政府主催、日本政府とカナダ政府が共催で、「持続可能なブルーエコノミー国際会議」を開催し、成功裏に終えました。

 

また、今年8月に横浜で行われたTICAD 7では、開会宣言で「ブルーエコノミー」という言葉が使用されました。

 

日本には、アフリカと一緒にやりたいことがあります。日本とアフリカを結ぶインド太平洋を、法の支配が貫く国際公共財として、大切に守ること。水と、海を慈しむ国民として、皆様のブルーエコノミー構想に、意味のある貢献をすること。私たちが共に歩むその先には、国連安保理改革が、アフリカ、日本、共同の課題として、依然その解決を待っています。

令和元年8月28日 TICAD7開会式・全体会合 安倍総理基調演説 | 令和元年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ

 

この概念は、生態系を維持しながら持続的に漁業や観光などの産業を発展させていこうという考え方です。しかし、産業の発展のために水産資源が犠牲になったり、水環境が汚染されたりしてしまうと元も子もなくなってしまいます。

 

適切な塩梅で発展ができるようになれば良いですが、その塩梅は難しそうです…。